そもそもどうして安来へ?
そう、それは「鉄」つながりだからです。
上質の鉄、「玉鋼(たまはがね)」の町、日野から
はがねの町、安来には鉄を運ぶ商いの道がありました。
こういったご縁があるのです。
加えて、ここ旧伯太(はくた)町井尻の
伊達家(参議院議員源一郎氏の生家)に
根雨の近藤家より嫁いでおられるというお話を聞き、
驚きました。
こちらの伊達源一郎翁の顕彰碑の写真は
ボランティアガイドの会様よりいただいたもの。
私の想像をはるかに上回る深いご縁です。
さあ、一万石の城下町、母里の町あるきに出発です。
ガイドの栂瀬(とがせ)さん、
よろしくお願いしまぁす。
まずは柴田家御三家。
町中に水路が張り巡らされています。
本家は鉄の商家として、
分家は士分として
母里藩財政の立て直しに貢献したそうです。
ところで、皆さまの町には
「金屋子(かなやご)神社」はありますか。
たたらの女神様を祀る神社です。
金屋子神社のルーツとなったのがこの地で、
総本山は旧広瀬町比田にあるそうです。
比田の金屋子神社本殿前に
一際大きい一対の灯籠が奉献されています。
そこには「母里 大和屋」と彫ってあり、
この「大和屋」こそが柴田家の旧家名なのだとか。
由緒あるお屋敷なのですね。
古いお屋敷が並び、
タイムスリップしたかのようです。
細工も見事。
弘鶴橋を渡り、まちなかへ。
伯太川。
あれ、川の水、何だか赤茶色で金気(かなけ)があることない?
ガイドの会、山さきさんに尋ねてみると、
昔、鉄穴(かんな)流しが行われていて、
鉄分豊かな土地だそう。
やはり。
かのや。
この地域で一番古い建物。
江戸時代のものだそう。
後藤家。
家並みを見通してみて下さい。
そう、見通せません。
通りに対して家屋が角度を持って並んでいる為です。
これは武者隠しと言って、
敵から見つかりにくくする為の工夫だそう。
時の櫓(やぐら)。
かつては火の見櫓として町を見守り、
現在は時の鐘として時を告げています。
ここで安来市内へ向かう時間となりました。
一万石の城下町は見どころ満載でした。
ありがとうございました。